とりとめ

遠い将来の思い出/やや近い将来への忘備録

Collins・Pinch『迷路のなかのテクノロジー』

Harry Collins and Trevor Pinch著、村上陽一郎平川秀幸 訳、『迷路のなかのテクノロジー』、化学同人、2001。

学部時代の授業の参考書。科学を扱った同著者の『七つの科学事件ファイル――科学論争の顛末』(化学同人、1997。以下、「前作」)の続編で、技術を扱う。

序論――技術のゴーレム

科学はゴーレム

科学は救世主でも悪魔でもなく「ゴーレム」である。

それは力持ちである。日々毎日少しずつ強くなる。命令は聞くし、仕事は替わってくれるし、安全を脅かすあらゆる敵から、人間を守ってもくれる。しかし、それは不細工で扱い難く、危険でさえある。

われわれの思い描くゴーレムは、邪悪なものではないが、愚か者である。ゴーレム科学は、したがって、その誤りのゆえに非難されてはならない。誤っているのはわれわれ自身なのである。ゴーレムが最善を尽くしているなら、非難はできない。しかし、過剰な期待を彼に抱いてはならない。力持ちではあるが、ゴーレムはわれわれの技術の産物であり、われわれの作業の結果だからだ。

科学論の分野における原理のうち、本書で導入される3項目が提示される。

実験の悪循環

「実験が正しい理論を導く」という考え(反証主義)を否定するもの。日常的には、想定する理論に基づいて実験が行われ、それからかけ離れた結果は誤差として排除されてしまうので、実験は元々あった理論をますます強化することにしかならない。

一つの実験が疑う余地のないような結果を得る、ということは困難であり、それは、何が正当な結果であるべきか、ということを知らないままに、ある実験が正当に行われたかどうかを判断することができないからである。

前作でも、歴史的な科学実験が実はそんなにキレイに理論を(あるいは理論が間違っていることを)証明したわけではないことが繰り返し述べられてきた。思えばちょうど自然科学史の講義を受けていたころ、学生実験でデジタルマルチメーター(デジマル)の値が各班でぴったり一致などしない事実に「科学に絶対はない」ことを感じ取ったのが、科学論/専門家論を考えるようになった出発点だったように思う。

離れていることが、魔力を増す

科学技術も、論争から離れた立場からは単純化されて、明快/純粋なものにみえてしまうということ。

激しい論争の中心に近づけば近づくほど、そう簡単にこういうものだとは言えなくなり、複雑に思われてくるものである。

証拠の置かれた文脈

問題意識によって、実験結果の解釈が肯定的にも否定的にもなりうるということ。

社会が科学を作る

科学のパラダイムは、科学者をとりまく社会(外的歴史)によってもたらされる。技術はその程度がより強く、その議論/解釈は国家や経済的環境などと密接に結びついている。

非専門家の専門性

6~7章では、いわゆる「現場」の人間が持つ専門性が技術に貢献している例が提示されている。科学的教育や資格を受けていないがために、通常専門家とはみられていない人びとを技術の意思決定に組み込むことは、民主的という意味に限らず、純粋に技術的な発展という点においてもよいことである。
これを達成するには「専門性は専門家にこそある」という非専門家の誤解を解く必要がある一方、専門性が真面目な関心と置き換えられるなどというポピュリズムに行き着くのも危険である。これらは科学や技術を神秘的なものとみなす傾向から生まれる。その解決のためには、科学技術が「ゴーレム」的なものであることが(専門家、非専門家ともに)理解される必要がある。


コリンズが主題として挙げている専門家論。
学部以来、私が気にかけて、課題感を持っている点の1つがここにある。ノーベル賞がもてはやされ、研究者は「すごい」「頭が良い」と、違う世界の人間のように評される。一方、危機に際しては、御用学者などといってそもそも専門家の意見が軽視されたり、学者は現場を理解していないなどと言われたりもする。専門家の側も、政治家/民衆/他分野の研究者は理解がないなどと言ったり、普段専門としない政治などについても人一倍理解があるかのような発言をしたりする。
そうした(いわゆる)専門家と非専門家の隔絶に対し、ある種の専門家の端くれになろうとしている私はどのようにふるまったらよいのか、どうしたら隔絶を埋められるのか。「科学がゴーレム」であるという認識は、その手立てとなりうるように感じるが、ではこれが専門家と非専門家の双方に理解されるにはどうすればよいのか。答えはまだみつけられていない。

6章 子羊の科学――チェルノブイリとカンブリア地方の牧羊農夫たち

チェルノブイリ原発事故に伴う放射能汚染について、政府や科学者の態度が地元農家の不信を招いてしまった話。

農夫たちにとって、科学者たちとの出会いは幸せなものではなかった。彼らは裏切られたと感じたのである。科学者たちの傲慢さや、ころころ変わる見解にもうんざりしていた。彼らの科学への信頼は砕けてしまったのである。これは、科学者が素人との関係を悪くしてしまった一例だ。その教訓は、われわれすべてに重要である。

  1. 事故後、政府は繰り返し早期収束の見通しを強調したが、実際にはそうはならず、これが政府への不信を招いた。
    • その根拠となるモデルは不正確であることが(後から)分かった。
    • 政府は伝統的に、パニックによる危険の方が直接的なリスクよりも大きいと考えていたため、パターナリスティックな不安除去に走った。
  2. 政府が農家に要求した規制策も、農家の事情に対する理解を欠いたものであった。
  3. 農家たちは、科学者たちの検討が必ずしも明快で確定的なものではないことを知っていた。
    • 複雑な要因によって測定値がばらつくなど、首尾一貫した結果を得ることが難しい実態を目にしていた。
    • 現場の知見を見過ごしているがゆえに、検討が意味のないものなってしまっていることを見抜いていた。
  4. にも関わらず、科学者たちは結果をあたかも疑いようのないものかのように述べており、それが農家たちの科学者への不信を招いた。
    • 結果として、その後生じた問題に対する科学者たちの説明は、はなから信用されなくなってしまった。
    • 科学者たちが政府の手先であるとか、(科学者からみれば)明らかに間違った見立てが広まる要因にもなった。

科学者たちは不確実性を認めるのではなく、長い目で見れば維持できない自信過剰な主張をしたのである。やがて前言が撤回されたときには、このことが、科学者たちはただ雇い主である政府の言いなりになっているだけだという新たな科学の見方に、農夫たちが飛びついてしまうのを促したのである。

上記まとめの前段(1, 2)と後段(3, 4)は共通する問題であるが、政策と科学技術という点でやや視点が異なっている。

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