とりとめ

遠い将来の思い出/やや近い将来への忘備録

祖母を見て開設を思いたつ

【祖父の手記は未完】
4月末に死んだ祖父(じーよ)が残した手記を、伯母さんを司令塔に祖母(ばばちゃん or ばぶちゃん)に編纂させている。
じーよは2, 3年かけて自分史を編んできたが、それでも30歳そこそこまでしか到達しなかった。
当初は残り60年分を、手紙等の記録とばばちゃんの思い出で補完するつもりだったが、いざとなるとどちらもそうそう出てこないようだ。
ここ20年は日記をつけていたので、最近はそればかり読んでいるらしい。

【目的1:遠い将来の思い出】
じーよは自分の生きた記録を残すのに、日記では不十分と気づいて大部にとりかかったと聞く。
一個人が人生の記録を残す事の意義は、正直社会的にはほとんどないと思う。
特に日々感じたとりとめもない事などは、他人は元より将来の自分にとっても、ぴんと来るものではないだろう。
しかし年を取ってふと過去を振り返ってしまった時、その軌跡が形として残っていないと、かなり寂しい思いをするのではないか。
と、ばぶちゃんを見て思ってしまったからには、少なくとも自分は将来そうなるような気がする。

【目的2:やや近い将来の備忘録】
他方小説や種々の記事などから読み取った自分自身への教訓、あるいは感じた事に理由付けをして整理した思い付きなんかは、もう少し短いスパンを期して記録しておきたいとは思っていた。
とりとめもない事は程々にして、こちらはちゃんと継続的に残す事にしたい。
本当は単に羅列するのではなく、もっとスマートに情報を整理し、リマインドする仕組みを考えたいものだが、とりあえずタグだけ付けて後は気がむいたらしよう。